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長野日報土曜コラム 令和1年8月24日掲載

156 幸せは徳ある人に訪れる

 

特別の教科「道徳」

 

2018年から小学校で2019年から中学校で「道徳」教育が行われる。特別の教科として道徳が取り入れられる背景には「いじめ」問題がある。いじめは良くないと誰でも分かっているが、複数の人間がいればそこにはなんらかの格差が生じ、グループ化が進んだりして異なる他者が生まれる。

 

自分と何らかが異なる他者を受け入れられなければ、他者のいじめが発生する。そしていじめを苦にして自ら命を絶つ痛ましい事件が繰り返し起きる。いじめは加害者、被害者、傍観者にも後悔をさせることになり、いじめが起きないよう道徳教育が取り入れられた。

教科として取り入れられれば検定教科書の使用が義務付けられ、生徒が個別に評価される。これは特定の価値観を押し付ける恐れがあるという意見がある。愛国心を醸成し、主体性を持たずに言われるままに行動するという不安意見がある。

 

かつて学校教育に「修身」が取り入れられた時代は徴兵の発令を受けたら喜んで応ずべきという考えがあった。基本的人権を損なう思考が国民に刷り込まれ、その反省から道徳教育には反対意見が多い。

しかし今回の道徳教育の目的がいじめ問題なので、かつての滅私奉公ではなく「自分のために生きなさい、そして相手の命も大切にしよう」というメッセージが含まれている。

 

これまでの学校教育はあらかじめ解答が用意され、与えられた問題に対してどのように解答に辿り着くかが先生によって解説される。

ところが道徳教育では多様性を認めようとすれば解答は一つではなく、あらかじめ用意することは難しい。先生自身の容量によって授業の質は異なると予想される。

 

道徳の個別評価結果は内申書等には反映されないというが、道徳教育方針は今後継続して検討を重ねられるだろう。

 

昔話、おとぎ話は道徳教育

 

お盆に両親の実家に帰省すれば祖父母が温かく迎えてくれる。迎え火を焚いて先祖の霊が迷わずやってきては送り火とともに見送る。盆棚にはキュウリやナスで牛や馬に見立てた飾り物が並ぶ。他に地域や家庭によってほおずき、蓮の葉等を飾る。

線香の臭いから普段と違う雰囲気が漂う。すでに亡くなった先祖に思いをはせながら、現在生存している両親や親戚との関係を確認する機会になる。

こんな時は地元に伝わる昔話や伝説に触れることができる。地元の神社や寺院に行き、盆踊りなどに参加すれば故郷の有難さが身に染みる。

 

両親の実家にはかつて父母が子供のころに読み聞かされた絵本やおとぎ話が残されている。多少色が褪せ角が丸くなっても子供の絵本は何十年たってもデザインはほとんど変わっていない。

現在ではネットやテレビ、ビデオで子供向けの番組がいつでも見られるので親の手を省くことができる。しかし読み聞かせは子供の想像力を高めるのに有効であり、親が使用した絵本は今でも十分役に立つ。

 

昔話やおとぎ話は苦労して頑張った者が報われるようなストーリーが多い。悪人が他人を騙し傷つけて成功するようなストーリーはない。ディズニーのストーリーもほとんどがいくつもの障害を越えた先にはハッピーエンドがある。善は栄え悪は滅びることを伝えている。

これらは立派な道徳教育であり、今の頑張りは将来必ず報われると信ずれば、新たな力が湧いてくる。

 

昔から尊ばれた徳

 

現実の世界は絵本のように単純ではない。頑張っている者より要領の良い者が成功し、お金を稼いでいる。真面目にコツコツ働いても出ていくものが多く、手元にはほとんど残らないのが現実かもしれない。

現実の世界は実に不平等で、持てる者は益々資産を増やし、無い者は頑張っても資産が増えない。大人になるにつれ道徳教育のようにいかないことを実感する。

 

欧米のようにキリスト教による徳を重ね徳を磨く習慣は日本にはあまり見当たらない。しかし、「武士は食わねど高楊枝」といわれる武士道には義、勇、仁、礼、誠、忠義等徳を表す言葉は数多く、尊ばれてきた。

お金と徳を比べれば徳を優先するのが当たり前と思われる。単一の宗教はなくても太陽、自然、氏神、先祖等を通じて自らを客観視することがある。その行動基準に徳が大きく影響している。誰もいなくてもお天道様が見ているので悪いことはできないということである。

 

日本人の行動規範の中に個人的な成功より集団における成功を重要とする傾向がある。農耕民族ゆえ集団の論理を最優先にするのだろう。チームワークを重要と考えれば「徳」に対する考えは自然と理解されやすい。

小学校の教室や廊下の目立つところにある標語の勤勉、努力、友情等は徳に基づく行動指針である。徳は子供のころから身近で親しく尊ばれてきた。

 

ポジティブ感情には徳がある

 

道徳教育は米国の小学校でも行われている。ある小学校では道徳の項目として、尊敬、責任感、忍耐強さ、奉仕、自己統制、正直、共感、勇気の8項目を挙げている。

この学校では道徳教育を取りいれたことにより中途退学者は少なく、毎日学校に通う子供は97%と高い。この教育の狙いとして「良い市民」を育てることを目標としている。子供の教育を親に任せるだけでなく、地域社会が子供を育てる方針である。

 

道徳教育の授業時間は特に設けていない。それは例えば理科の授業で動物について学ぶ際、「家のペットに関するあなたの責任は何か?」日常の授業と道徳の項目と結び付けて学習する。

この教育方法は道徳を一つの教科とするのではなく、すべての教科と関連させることで道徳が教育の中心にあることを意味している。

 

かつて道徳教育は家庭教育としてとらえていたが、離婚の増加、一人親家族の増加、貧困層の問題など家庭の教育力が低下したため学校で道徳教育を取り入れたという。

これまではキリスト教という宗教が道徳教育の基盤になっていたが、多様な民族の増加からキリスト教だけでは基盤にならなくなったようだ。

 

ある生徒が宿題を3日続けて忘れたとする。生徒に反省させるのに叱るのではなく、道徳の項目をもとに反省シートを作成させる。

反省すべき項目はゲームに夢中になって3日続けて宿題を忘れたこと。宿題をするという責任感、ゲームを途中でやめる忍耐強さ、自己統制ができなかった。その理由としてはゲームが楽しくてやめられなかった。

 

その結果ゲームは楽しかったが、親や先生に注意され、自分が情けなかった。そして今後ゲームのやりすぎをやめて宿題をしっかりやると決意を表す。さらにどのように改善するかを記述する場合もある。そして保護者のサインを求め、親子で問題行動を共有し、対話できるようにする。

 

子供の教育に「叱責」は常に改めようとする気持ちを子供からなくさせ、「脅し」は子供をより意固地にさせる。「叱責」は能力への自信を強めるどころか、逆に自信を無くす方向に働くということを教師、保護者ともに理解している。子供の行動を過剰に褒めるのではなく、ありのままを受け止めるのが良いとされている。

 

努力しても報われないのが現実であるが、報われないから不幸といえるだろうか。お金がわずかしか得られないから不幸なのだろうか。

報われるか報われないかは他人との比較により認識される。相手より多くの報酬では幸せであるが、少なければ不幸というのはおかしい。相手と比べる必要はない。

徳の項目を学べば、ポジティブな思考と言動ができるようになる。他者からの施しがあるなし関係なく自身の充実度は相当高まるだろう。

 

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