長野日報土曜コラム 令和1年9月28日掲載
157 真面目な人ほど傷を負う
仕事は忙しい人に頼め
暇な人は手が空いているように見えるから仕事を頼みやすいはずだが、あからさまに手が空いている暇な人と思われるのは気分が良くない。見た目は暇そうに見えても自分なりに仕事に取り組んでいるので、勝手な思い込みで暇そうな人と決めつけられない。
そんな言い訳だけは立派で口は動いていても手は動いていないのはいつものことだ。おしゃべりが仕事の一部だと思っているならば給料泥棒である。職場にいるだけで仕事をしていると思い込む人がいるが、本人だけが気づいていないのだろう。普通に仕事をしている人がおしゃべりの相手をさせられるのはいい迷惑である。
忙しい人は手際よく仕事をこなすので、いつまでにどのくらいのレベルで仕事が完了するか把握している。一方暇な人は依頼した方はすぐできるだろうと思っていたら、本人はすっかり忘れていていつまで経っても完了の連絡がない。催促したら忘れていたことをごまかす言い訳だけが山のように返ってくる。
仕事ができる人に共通する考えに「今日できる仕事を明日に回さない」である。明日は明日で何があるかわからないので、今日行う仕事の中にできる限り多くを詰め込もうとする。その結果完了予定日より早く終了することが多い。また都度問い合わせなくても中間報告があり、進度が確認できる。
仕事ができる人は依頼者の意図が十分わかっている人である。依頼者の状況からどうして自分に仕事を依頼したのか分かっているので、依頼者の感覚で仕事が進められる。一般に気配りのできる人である。
一方仕事ができない人は依頼者の立場など考えずに、依頼された内容だけに取り組む。またその後の進行は自分の都合で遅れや多少の変更は仕方のないことであると勝手に思い込む。依頼者の意図など感じることもなく自分の都合で仕事を進める。
仕事の依頼者は上司である場合が多く、初めの数回はまだ慣れていないし伝え方も適切でなかったと自らが反省したとしても繰り返し何度も同じことを伝えるようになれば口調も荒くなる。仕舞いには伝えるほうが疲れてしまい依頼することを避けるようになる。
職場での暴力暴言はパワハラと言われるが、誰も好んでパワハラを行う人はいないだろう。このようなネガティブな行為は自らも傷つけるのでそれなりの原因がなければ取るはずがない。
できる人は傷つきやすい
会社や組織の中でできる人は20%といわれる。20%の人が組織に大きな影響を及ぼす。この20%という割合は数多く表れる。
パレート分析、ABC分析などにも表れ、在庫価格の大半を占めるのは20%の品種である。在庫を圧縮するならば均一に減らすのではなく20%の品種を中心に対策を講ずればよい。
会社や組織ではこの20%の人に仕事が集中する。この人たちは初めから仕事ができたわけではない。依頼された仕事で期待に応えられるよう精一杯頑張ったところ依頼者から認められて再び仕事の依頼を受けるようになった。この繰り返しが経験となり他の人より仕事ができるようになった。
できる人は頼まれたら嫌といえず全部を背負い込む人かもしれない。責任感が強く、迷惑を掛けたくない人、役に立ちたい、認められたい人だろう。我慢強く最後までやり遂げようとする人はつい頑張り過ぎるところがある。
このような人は人一倍ストレスにさらされる。仕事の納期、品質、数量は依頼者の期待に当然応えなければならない。さらに依頼者の言葉に表れない意図まで感じていれば、求められるニーズは増加する。
一人でこなすことができなければ他の人手を借りなければならない。応援者への指示や中間確認など四六時中ストレスを感じることになる。
ストレスは外部から刺激を受けた時に生ずる緊張状態といわれるが、本人にとって不快な刺激だけがストレスではなく嬉しい出来事もストレスを生ずるといわれている。できる人は数や種類だけでなく長時間に渡りストレスと向き合うことになる。
ストレスからくる体調不良は数多い。気分の落ち込みや憂鬱な気分になり、疲れやすくなる。寝つきが悪くなり、夜中に目を覚ましやすくなる。また、長時間寝ても眠気が取れない。体重や食欲の増減が表れ、思考力や集中力が低下し、決断がしづらくなるといわれる。
そしてストレスからくる病気はうつ病だけに止まらず呼吸器系、循環器系、消化器系、神経・筋肉系、整形外科領域など身体のどこにでも発症する可能性がある。
できる人は自分の持てる能力、体力、時間を仕事に費やせば、スポーツをしたり趣味に興じたり家族や仲間と楽しい時間を過ごすことは難しい。気分転換が図れず仕事一辺倒になりがちである。
会社が存続するにはこれまでと同じことをしていられない。常に新たな事業を展開しなければ停滞し、後退する。新たな事業はそこで働く者に新たなストレスとなる。
因果応報
「因果応報」の意味は罰を受けるのは自らの悪行のせいであるとして使われるが、本来悪いことのみに使われるのではなく、善いことも悪いことも自分が受ける結果はすべて自分自身が作るものだという意味である。
「因」が原因を表し「果」は結果を表す。どんな結果にも必ず原因があり、原因なしに起きる結果はない。「応報」は原因に応じた報いであり、蒔いた種に応じた結果が必ず現れるという教えである。人参の種から大根は生まれないという意味である。
本来仏教用語であり「善因善果、悪因悪果」を表すが、結果が表れるまでには時間差がある。他人が見ている見ていない関係なく善い種を蒔きましょうというメッセージにつながる。
日本人には非常に理解しやすい考えである。公園に落し物があれば交番に届ける、電車内に忘れ物があれば駅員に渡す、東日本大震災時にコンビニの冷蔵庫から水を取り出し誰もいないレジにお金を置いていく行為は外国人には奇跡と映ったらしい。
この考えに則り仕事を考えれば、今は多少苦しくともこの苦労はやがて報われる時が来る。苦労が大きければ大きいほど報いは大きいと考えられる。
また皆が出来ているのだから自分にもできるだろう。皆が頑張っているのだから自分も頑張る。皆が苦労しているのに自分だけが途中で止めて帰るわけにはいかない。こんな思いからどんなことをしてでも仕事をやり遂げなければならない。
さらに自分が頑張れば周囲の協力が得られる。それはやがて会社の利益になり、商品やサービスを通じて社会の利便性向上に貢献できる。それは自分のやりがいなので多少の苦痛に耐えられる。
しかし自分が思っているほど自分の精神や身体は強くない。何か調子が悪いな、寝不足のせいかなと思っていたら体調不良になっていた。特に精神が一度乱れると元に戻るには時間がかかるといわれる。ある程度治ったとしても同じ仕事に就くことは難しい。
同じ職場の同僚は仲間であると同時にライバルでもある。組織の中でより上位の役職に就こうとすれば同僚より頑張らなければならない。そのためには周りの誰よりも苦痛に耐えながらも上司の期待に応えなければならない。
集団主義は会社内では企業文化になり、大きなトラブルに発展し外部からの大きな力でも働かない限り変わりようがない。自分を救えるのは自分でしかないので、他人と比べることなく仕事ができるよう意識を持ちたい。
不謹慎のようだが所詮仕事は仕事でしかない。自分の命や健康を引き換えに行うものではないはずだ。
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