長野日報土曜コラム 令和1年7月27日掲載
155 お金の勉強
お金の勉強の必要性
「金は天下の回り物」には今はお金がなくてもそのうちに自分のところにもお金は回ってくるので悲観せず、まじめに働きその時を待とうという励ましの意味がある。
似たようなことわざに「宵越しの金は持たぬ」があり、その日に稼いだお金はその日のうちに使ってしまう意味である。どちらもお金に執着せず物事を楽観的に受け止めるところが江戸っ子らしい粋なライフスタイルである。
当時の江戸の町は火事が多く資産を持っていても火事で失う危険性があったので、多くの資産を失えばその分落胆も大きい。また火事による再建のため仕事も多く人出不足の状態であったから、貯蓄せずにその日のうちに使ってしまうことができたといわれる。
お金のない貧乏人を「清貧」といい、お金がなくても心が清く美しければ望ましく立派である。一方金持ちは強欲で他人を欺いたりするから金持ちになれた、善人は貧乏人で悪人は金持ちという通説が浸透した。
世の中のほとんどの人はお金を持たない貧乏人に属し、金持ちはほんの数%のわずかな人である。多勢の貧乏人を大人しくしておくには「清貧」と表現すれば都合が良い。
金持ちの中には「清富」がいようとも、これでは貧乏人は納得がいかない。例え貧乏であっても心が清く美しければそのほうが立派で尊い。金持ちであって心が清く美しければ(さらに器量もよければ)バランスが取れない。
身分制度に「士農工商」があり、農民は重い年貢に耐えるために武士のすぐ下に位置づけられ、金を持っていても商人はさらに下位に位置づけられた。おそらく社会秩序を保つための方策であろう。
現在は「勝ち組、負け組」とお金を保有する額によって分けられ、支持されているのはお金持ちの「勝ち組」である。お金によって高等教育を受け世界中の金持ちとネットワークを結ぶことで新たなお金を生み出している。お金持ちと貧乏人は世代を超えて継続する傾向がある。
「越後屋、お前も悪よのう」「いえいえ、お代官様ほどでは、、」など時代劇での裏取引では継続して稼ぎ続けることは難しく、心美しき貧乏人が救われるような名奉行の姿も今は見えない。また武家屋敷に盗みに入り困っている人に金銭を撒くねずみ小僧も今はいない。
可処分所得の増大化
金持ちになるには収入を増やし支出を減らせば、自分で使用できるお金は増加する。自分で処分可能なお金のことを可処分所得といい、これをいかに増大化させることがライフプランの課題となり、FPが得意とする。
可処分所得の支出には一般に通信費や水道光熱費、食費は含まず、税金や社会保険料が支出項目となる。税や社会保険の仕組みは学校では習わないのでほとんどの人が知らない。
所得税の税率は課税所得に対して約20%、社会保険料の自己負担分は収入に対して約15%、他に消費税、固定資産税等あるので、税金と社会保険料を合わせると収入の30%くらいを支払うだろう。
社会保険料は給与額と連動し、老齢年金は保険料を多く支払えば多く受給できる。健康保険料は都道府県により異なるので、保険料率が低い地域に移住すれば保険料は下げられるが、そのために移住先を決めるのは難しい。
個人が支払う税金は主に所得税と住民税である。課税所得の捕捉率は業種間により異なり、給与所得者9割、自営業者6割、農林水産業者4割でこれをクロヨンといっている。
給与所得者であるサラリーマンは勤務先から税務署に連絡がいくので節税対策のしようがない。最近個人型確定拠出年金が給与所得者にも対象が広がったので、いくらかの節税対策が可能になった。
ある投稿者の経験を通して可処分所得の増大化を図ったブログを見つけた。その人はお金持ちになりたくてまず自身の支出を見直したところ、飲み会費用を削った。勤務先に関連するものだけにして他の付き合いの飲み会をほとんど断ったことで月3万円くらいが浮いたという。
3年間で貯めたお金が100万円これを元手にFX投資をはじめ、今では投資金額2000万円に達しているという。自分のイメージするお金持ちとしてまずは目標金額を1億円にしたいと言っていた。
この人は当初お金持ちになって幸せになりたいと言っていたが、お金持ちになったようだが幸せになったかわからない。人が幸せを感じるのは多くの人と語らい、時に歌い踊っている時であろう。まさに飲み会はそんな時の過ごし方ではないだろうか。(時には愚痴や不平不満だらけの飲み会もある)
この人の幸せという目標が手段であるお金と入れ替わったかもしれない。またFX投資はギャンブルに近く、ワクワクドキドキの興奮が飲み会に代わる楽しみになったかもしれない。FX取引は常にどこかの相場が動いているので、夢中になれば睡眠不足になるだろう。
お金持ちになれば幸せになれる、お金の量と幸せの満足度が比例するように思われているが、それは間違いである。お金は使用して初めてその価値が発揮されるので、貯め方以上に使い方を検討する必要性がある。
可処分所得の増大ばかり考えていると、必要なお金まで節約するようになってしまう。また損得に非常に敏感になり、その損得基準は自分にとって損か得かというものである。自らの快不快が優先され相手を思いやる気持ちは次第に薄れていく。
通帳に記載される貯蓄残高を見て喜びを感ずる者を「守銭奴」という。お金の勉強を深めようとすればするほど目標を見失い守銭奴に近づくかもしれない。
お金に振り回される危険性
お金の勉強を勧誘するところのキャッチフレーズを見ると、「貯蓄が思うようにできない方必見」「募集人に言われるがままに保険に加入した人」「投資を基礎から学びたい方」などがある。
さらに「6人に1人が老後破産!?」「老後は年金以外に2000万円必要」など不安を掻き立てる文言は多くある。将来のことは誰にもわからない、だからそこには常に不安が付きまとう。
不安と同義語にリスクがある。リスクはプラスにもマイナスにも働く変動の可能性を表すが、不安はマイナス側面しかない。
海外のある国でテロが発生すれば、その国では日常茶飯事にテロが発生するかのように受け止められる。原発事故で放射線漏れが発生すれば、その国全てで数値が高いと思ってしまう。発生回数や数値ではなく感覚が優先される。
人はとにかく危険には敏感である。投資を例にすれば、この物件に投資すれば10万円儲かる確率と10万円損する確率が等しい投資案件に投資するだろうか。おそらく投資する人はほとんどいない。それでは10万円儲かる確率30%と10万円損する確率10%ではどうだろう。
得と損の比率が3:1でやっと成立する。それだけ損失や危険に対して人は敏感で過剰な反応を示すものだ。だから不安をあおる文言には過剰に反応に、何とかしてその不安を取り除こうと懸命になる。それがお金で解決できるならば相当多額を費やしてしまう。
お金の勉強はお金の本質やお金に関するルールを学ぶことになる。知っておく価値は十分あるが、これだけでは不十分である。お金を使うのは人であり、人は感情の生き物だから理屈通りには行動しない。
お金の勉強とともにお金の使い方、人の生き方、人の興味深さにも思いを広げてはどうだろう。
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